牧野伸顕とは?
まきののぶあき
牧野伸顕は、大久保利通の次男として生まれ、戦前日本の宮中・外交・政界で重きをなした政治家です。
牧野伸顕(まきの のぶあき、1861〜1949年)は、日本の政治家・外交官で、明治維新の元勲である大久保利通の次男として薩摩(鹿児島)に生まれました。
幼少期から岩倉使節団に随行して渡米し、フィラデルフィアで学んだ後に帰国。外務省に入省し、イタリア公使・文部大臣・農商務大臣・外務大臣など要職を歴任しました。
特に知られるのはパリ講和会議(1919年)での活躍です。全権委員として西園寺公望とともに参席し、国際連盟規約への「人種的差別撤廃」条項の挿入を提案しましたが、英米の反対により否決されました。この取り組みは日本外交史上の重要な場面として記録されています。
その後、宮内大臣・内大臣を歴任し、昭和天皇の側近として宮中政治の要となりました。2・26事件(1936年)では反乱軍の標的となりましたが難を逃れました。娘の雪子は吉田茂元首相の妻であり、戦後政治との接点もあります。
使い方・例文
明治・大正・昭和にまたがる日本の宮中政治・外交史を論じる際に欠かせない人物として登場します。
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