本文へスキップ

東郷茂徳とは?

とうごうしげのり

東郷茂徳とは、第二次世界大戦期の日本外交官・政治家で、開戦時と終戦時の二度にわたり外務大臣を務めた人物です。

東郷茂徳(とうごうしげのり)は、1882年に鹿児島県に生まれた外交官政治家です。帝国大学(現・東京大学)を卒業後、外務省に入り、ドイツ・ソ連などを中心に在外公館での経験を積みました。

外交官としてのキャリアの中で特に重要な役割を果たした時期は二度あります。

一度目は1941年から1942年にかけての東条英機内閣における外務大臣兼拓務大臣の時期です。アメリカとの交渉が続く中で対米開戦を回避しようと努力しましたが、最終的に太平洋戦争開戦に至りました。

二度目は1945年の鈴木貫太郎内閣における外務大臣の時期です。この時期は終戦工作に尽力し、ソ連を通じた和平交渉やポツダム宣言受諾に向けた動きを主導しました。原爆投下とソ連参戦という状況下で、聖断(天皇の終戦決断)を求める動きを支持しました。

戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として起訴され、禁固20年の判決を受けました。服役中の1950年に巣鴨プリズンで死去しました。外交官としての評価は、開戦を望まなかった平和志向の面と、戦争遂行責任という面の両方から今も議論されています。

使い方・例文

太平洋戦争の開戦・終戦外交を学ぶ授業で、「東郷外相は開戦にも終戦にも関わった数少ない政治家として、昭和外交の矛盾を体現した人物」として紹介されます。

この用語をシェア

𝕏 でポスト LINE

最終更新:

関連用語