本文へスキップ

有馬晴信とは?

ありまはるのぶ

有馬晴信とは、戦国時代から江戸時代初期にかけて肥前国を治めたキリシタン大名で、南蛮貿易に深く関わり、江戸幕府成立後に岡本大八事件で処刑された人物です。

有馬晴信(ありまはるのぶ)は、1567年に肥前国現在長崎県南部)の戦国大名・有馬義貞の子として生まれました。有馬家は長崎県南部の島原半島中心とした地域を支配する大名で、南蛮貿易(ポルトガルとの交易)の拠点に近い立地にありました。

晴信はキリスト教に入信したキリシタン大名の一人で、洗礼名をドン・プロタジオといいます。イエズス会との関係が深く、宣教師の保護や教会建設を支援しました。1584年の沖田畷の戦いでは、有力大名・龍造寺隆信を敗死させる大勝利を収め、勢力を拡大しました。

また1609年には、長崎沖でポルトガル船マードレ・デ・デウス号を攻撃・撃沈させる事件(ポルトガル船撃沈事件)を引き起こします。これは前年に起きた有馬家と岡本大八・本多正純らとの紛争に絡んだもので、晴信はこの功績の代償として領地回復を約束されましたが、その約束は虚偽であったことが発覚します。

この過程で発覚した岡本大八事件(1612年)では、晴信は岡本大八から賄賂を受け取った疑惑が浮上し、幕府の取り調べの結果、甲斐国に流罪となり、その後切腹を命じられて生涯を閉じました。この事件はキリシタン大名への幕府の取り締まりが強化される一因ともなりました。

使い方・例文

「有馬晴信」は、キリシタン大名と南蛮貿易の関係を論じる歴史の授業や書籍で取り上げられます。岡本大八事件は江戸初期の贈収賄事件の代表例として歴史の教科書にも登場します。

この用語をシェア

𝕏 でポスト LINE

最終更新:

関連用語