龍造寺隆信とは?
りゅうぞうじたかのぶ
龍造寺隆信とは、戦国時代に肥前国を拠点として九州北部を制圧した武将で、「五州二島の太守」とも称された猛将です。
龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ、1529〜1584年)は、戦国時代の肥前国(現在の佐賀県・長崎県)を本拠に勢力を広げた武将です。龍造寺氏はもともと少弐氏に仕える国人領主でしたが、隆信の代に急速に台頭しました。
隆信は幼少期に一度出家しましたが、龍造寺氏が大内氏の圧力で存亡の危機に立たされると還俗し、反撃に転じます。知略と武勇を兼ね備えた隆信は、宿敵の少弐氏を滅ぼし、筑前・豊前・筑後・肥後・肥前の五州と壱岐・対馬の二島を支配下に置いたことで「五州二島の太守」と呼ばれるようになりました。
最盛期には西国屈指の大勢力を誇り、大友氏・島津氏とともに「九州の三強」を形成しました。しかし1584年の沖田畷(おきたなわて)の戦いで島津・有馬連合軍と激突し、数で圧倒する兵力を持ちながら地形の不利と奇襲を受けて討ち死にします。隆信の死後、龍造寺氏は家臣の鍋島直茂に実権を握られ、やがて鍋島藩として体制が固まっていきました。
隆信はその肥満体と苛烈な性格から「肥前の熊」とも呼ばれ、合戦での果敢な突撃と組織的な戦術運用を得意としました。戦国時代の九州情勢を考えるうえで欠かせない人物のひとりです。
使い方・例文
龍造寺隆信は、島津・大友という大勢力に挟まれながら独自の版図を築いた武将として、戦国九州史を扱うゲームや歴史小説に頻繁に登場します。
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