幣原喜重郎とは?
しではらきじゅうろう
幣原喜重郎は大正から昭和前期に活躍した日本の外交官・政治家で、穏健な「幣原外交」で知られ、戦後は第44代内閣総理大臣も務めました。
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう、1872〜1951年)は、大阪府出身の外交官・政治家です。東京帝国大学法科大学卒業後に外務省に入り、駐米大使などを歴任したのち、外務大臣として二度にわたり国際外交を担いました(1924〜1927年、1929〜1931年)。
幣原の外交方針は「幣原外交」と呼ばれ、その特徴は次の点に集約されます。
- 英米との協調を重視する「協調外交」
- 中国への内政不干渉・経済的手段による外交
- 軍事的冒険主義・強硬外交への反対
しかし、当時台頭してきた軍部や強硬派から「軟弱外交」と批判され、満州事変(1931年)の勃発とともにその外交路線は行き詰まりを見せました。
太平洋戦争後、幣原は1945年10月に第44代内閣総理大臣に就任し、連合国軍総司令部(GHQ)のもとで戦後改革に取り組みました。日本国憲法の制定過程では、第9条(戦争放棄)の発案に幣原が深く関与したとする説があり、これは「幣原発案説」として今も議論されています。戦後の民主化・平和外交の礎を築いた政治家として評価されています。
使い方・例文
近現代史の授業で「協調外交の代名詞」として紹介されるほか、日本国憲法第9条の起草に関わった可能性がある人物として政治学・歴史学で論じられます。
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