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島津家久とは?

しまづいえひさ

島津家久とは、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した薩摩藩初代藩主で、関ヶ原の戦い後に薩摩藩の基盤を固めた島津氏の武将です。

島津家久(1576〜1638年)は、薩摩島津氏の武将で、江戸時代における薩摩藩の初代藩主として藩政の基礎を確立した人物です。島津義弘の三男として生まれ、通称は又八郎、のちに主殿介と名乗りました。

家久が歴史的に注目されるのは、関ヶ原の戦い後の対応です。父義弘が西軍として参戦し、あの有名な「島津の退き口」によって戦場を突破して薩摩に帰還したあと、家久は徳川家康との交渉に奔走しました。島津氏の存続と領国の安堵を勝ち取ることに成功し、薩摩・大隅・日向の三国支配を維持することができました。

藩政面では、家臣団の統制や領内の整備を進めるとともに、1609年には琉球王国への侵攻を断行しました。この出兵により琉球を支配下に置き、薩摩藩は琉球との貿易を通じて大きな経済的利益を得るようになりました。この琉球支配の体制は幕末まで続くことになります。

また、家久は藩内の外城制度(地方在住の武士による防衛体制)を整備するなど、薩摩独自の軍事的・社会的体制の基盤を固め、後の薩摩藩の強さの礎を作った人物として評価されています。

使い方・例文

日本史の授業や薩摩藩に関する書籍で、関ヶ原後の島津氏の存続交渉や琉球侵攻を説明する文脈で島津家久の名前が登場します。

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