島津義弘とは?
しまづよしひろ
島津義弘とは、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した薩摩藩島津氏の武将で、「鬼島津」の異名を持つ名将です。
島津義弘(しまづよしひろ)は、天文4年(1535年)に生まれ、元和5年(1619年)に没した薩摩国(現在の鹿児島県)の戦国大名・武将です。島津氏第16代当主・島津貴久の次男として生まれ、後に兄・義久を支えながら島津家の九州統一事業に貢献しました。
義弘の武名が広く知られるようになったのは朝鮮出兵(文禄・慶長の役)においてです。慶長2年(1597年)の泗川(サチョン)の戦いでは、約7,000人の兵で数万規模の明・朝鮮連合軍を撃退する大勝利を収めたとされ、この活躍が「鬼島津」の異名の由来のひとつとなりました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属して参戦しましたが、戦況が不利になると「島津の退き口」と呼ばれる敵中突破により戦場を離脱しました。この壮絶な撤退戦は後世に語り継がれる武勇として名高く、多くの家臣が囮となって義弘を逃がした「捨て奸(すてがまり)」の戦法で知られています。
関ヶ原後は徳川家康との和睦交渉を経て薩摩に帰国し、晩年は隠居しながらも長寿を全うしました。その勇猛果敢な武将像は現代でも鹿児島の英雄として高く評価されています。
使い方・例文
「関ヶ原の島津の退き口は、島津義弘率いる部隊が敵中を突破した壮絶な撤退として知られる」というように、戦国史の文脈でよく登場します。
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