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小西行長とは?

こにしゆきなが

豊臣政権下で活躍したキリシタン大名で、朝鮮出兵では先鋒を務め、関ヶ原の戦いで西軍側として敗れた武将です。

西行(こにし ゆきなが、1555〜1600年)は、安土桃山時代の武将・大名で、洗礼名をアウグスティーノといいます。堺の商人の家に生まれ、豊臣秀吉に取り立てられて武将として頭角を現したキリシタン大名のひとりです。

もとは秀吉の側近として兵站・物資調達を担当しており、商人出身の実務的能力を発揮しました。その後、肥後(現・熊本県)南部を与えられて大名となります。キリスト教への信仰は終生変わらず、領内での布教を許可・奨励しました。

1592年に始まった文禄の役(壬辰倭乱)では日本軍の先鋒として朝鮮半島に渡り、平壌まで進軍しました。明の援軍が入ると戦線は膠着し、講和交渉に奔走しますが和平は成立せず、1597年の慶長の役も続きました。この際、同じ武将の加藤清正とは朝鮮での戦略方針や宗教(行長はキリスト教、清正は法華宗)をめぐって激しく対立したことで知られています。

1600年の関ヶ原の戦いでは石田三成ら西軍の中核を担いましたが、東軍に敗北。捕らえられた行長はキリスト教の信仰から自害を拒み、京都六条河原で斬首されました。その最期は信仰に殉じた武将として語り継がれています。

使い方・例文

歴史の授業や戦国時代を扱う書籍では、朝鮮出兵での先鋒・外交交渉役として、また加藤清正との対立や関ヶ原後の処刑の場面で小西行長の名が登場します。キリシタン大名の代表例としても言及されます。

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