北畠顕家とは?
きたばたけあきいえ
北畠顕家とは、南北朝時代に後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて東北地方を治め、足利軍と戦い続けた南朝方の公卿・武将です。
北畠顕家(きたばたけ あきいえ、1318〜1338年)は、南北朝時代の公卿・武将で、南朝方の重要な指導者の一人です。父は南朝の理論的支柱である北畠親房で、顕家自身も武家の棟梁として軍事と行政の両面で活躍しました。
1333年の鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政が始まると、顕家は義良親王(後村上天皇)を奉じて陸奥国(現在の東北地方)の支配を任されました。わずか15歳前後での下向でしたが、優れた行政手腕を発揮して東北の武士を掌握します。
1335年に足利尊氏が反旗を翻すと、顕家は東北から大軍を率いて西進し、尊氏を九州へ敗走させる大勝利を収めました。しかし尊氏は勢力を盛り返し、形勢は再び逆転します。顕家は再度、東北から南下して京都を目指す長征を行いましたが、1338年に和泉国(現・大阪府)の石津の戦いで戦死しました。享年20歳という若さでした。
後世、顕家は美貌と才気を兼ね備えた悲劇の英雄として語り継がれ、楠木正成・新田義貞とともに南朝方の「三忠臣」に数えられることもあります。
使い方・例文
南北朝時代の歴史や、東北地方の中世史を扱う文脈で登場し、若くして散った悲劇的な武将として紹介されることが多いです。
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