中野正剛とは?
なかのせいごう
中野正剛は、戦前日本の政治家・ジャーナリストで、東條英機への激烈な批判で知られる反骨の人物です。
中野正剛(なかの せいごう)は、1886年(明治19年)に福岡県で生まれた日本の政治家・ジャーナリストです。早稲田大学を卒業後、大阪朝日新聞記者として活動し、鋭い論評で頭角を現しました。その後、政界に転身して衆議院議員を長年にわたり務めました。
玄洋社の流れをくむ国家主義者でありながら、既成の政党政治を批判し独自の路線を歩みました。1936年に東方会を結成してその総裁となり、強力な指導者による国家改造を主張しました。ヨーロッパの全体主義的手法への関心を示した時期もありましたが、最終的には軍部独裁への批判者となります。
太平洋戦争中、中野は東條英機内閣の戦争指導を公然と批判する数少ない政治家のひとりでした。戦況悪化に伴い、東條打倒の政治工作を進めましたが、1943年(昭和18年)に治安維持法違反として逮捕・拘禁されました。釈放後の同年10月、自宅にて割腹自決し、57歳で生涯を閉じました。
中野の死は戦時中の言論弾圧と権力批判の困難さを象徴する出来事として歴史に刻まれており、戦前日本における反骨の政治家として今日も語り継がれています。
使い方・例文
「中野正剛は東條英機を公然と批判した戦前の数少ない政治家として、昭和史の文脈で取り上げられることが多い」という形で言及されます。
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