ズルフィカール・アリー・ブットとは?
ずるふぃかーるありーぶっと
ズルフィカール・アリー・ブットは、パキスタン初の民選首相として社会主義的改革を推進した政治家です。
ズルフィカール・アリー・ブット(Zulfikar Ali Bhutto、1928〜1979年)は、パキスタンの政治家で、パキスタン人民党(PPP)を創設し、大統領(1971〜1973年)および首相(1973〜1977年)を歴任しました。
シンド州の有力地主家庭に生まれ、カリフォルニア大学バークレー校やオックスフォード大学で学んだ後、政界入りしました。外務大臣時代には核開発計画を推進し、また1965年のインド・パキスタン戦争後のタシュケント協定に反発して政府を離れ、PPPを結成しました。
1970年の総選挙でPPPが勝利し政権を掌握。1971年の東パキスタン(現バングラデシュ)独立戦争の後始末を担い、インドとのシムラ条約を締結しました。国内では土地改革・国有化・教育無償化など社会主義的政策を実行しましたが、経済停滞と政治的混乱も招きました。
1977年の選挙後に軍事クーデターによってジア・ウル・ハク将軍に打倒され、政治的殺人の疑いで死刑判決を受け、1979年に処刑されました。その死は今日も議論を呼んでいます。娘のベーナズィール・ブットもパキスタン首相を務めた政治家として知られています。
使い方・例文
パキスタンの政治史・南アジアの民主主義と軍事政権の関係を論じる際に欠かせない人物として登場します。
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