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アレクサンドル・デュブチェクとは?

あれくさんどるでゅぶちぇく

アレクサンドル・ドゥプチェクは、チェコスロバキアで「人間の顔をした社会主義」を掲げ「プラハの春」を主導した改革派指導者です。

アレクサンドル・ドゥプチェク(Alexander Dubček、1921〜1992年)は、チェコスロバキア政治家で、スロバキア共産党を経てチェコスロバキア共産党の指導者となりました。スロバキア西部ウフロベッツ生まれで、幼少期をソビエト連邦で過ごし、モスクワで教育を受けた共産党員でした。

1968年1月、ドゥプチェクはチェコスロバキア共産党第一書記に就任し、「プラハの春」と呼ばれる大規模な改革運動を開始しました。「人間の顔をした社会主義(Socialism with a Human Face)」をスローガンに掲げ、以下の自由化・民主化措置を推進しました。

  • 報道・言論の自由化と検閲の緩和
  • 政治犯の釈放と名誉回復
  • 複数政党制・市民社会の再生
  • 経済分権化の推進

しかし1968年8月、ソ連・ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入し、プラハの春は終焉を迎えました(ブレジネフ・ドクトリン)。ドゥプチェクは拘束され、モスクワに連行されて改革の撤回を強制されました。その後党から追放され、スロバキアの林業局に配置転換されました。

1989年のビロード革命でチェコスロバキアが民主化されると、ドゥプチェクは政界に復帰し、連邦議会議長に就任しました。1992年に交通事故により死去しましたが、彼の改革への志は東欧民主化の先駆けとして今も称えられています。

使い方・例文

東欧の冷戦史や社会主義体制の変容を学ぶ際、「プラハの春」とドゥプチェクの名前は必ずセットで登場します。ソ連の介入と「ブレジネフ・ドクトリン」の解説でも引用されます。

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