アタフアルパとは?
あたふあるぱ
アタフアルパとは、16世紀にインカ帝国の最後の皇帝として君臨し、スペイン人コンキスタドールのピサロによって処刑された悲劇の指導者です。
アタフアルパ(1500年頃〜1533年)は、インカ帝国第13代(あるいは最後)の皇帝サパ・インカです。父ワイナ・カパックの死後、兄ワスカルとの継承争い(インカの内戦)に勝利して帝国を掌握しました。しかしその直後、南米大陸に上陸したスペイン人フランシスコ・ピサロ率いる少数のコンキスタドール部隊と対峙することになります。
1532年11月、ペルーのカハマルカでアタフアルパはピサロと会見しました。スペイン人側は奇襲を仕掛け、数万の護衛兵を持つアタフアルパを少人数で捕虜にするという歴史的事件が起きました。この「カハマルカの戦い」では、銃・鉄製武器・馬などヨーロッパの軍事技術の優位性が決定的な役割を果たしました。
捕虜となったアタフアルパは解放の身代金として、一室を金で満たし二室を銀で満たすという莫大な財宝をスペイン人に差し出しました。しかしピサロはその約束を守らず、アタフアルパをキリスト教異端・兄殺し・反乱扇動などの罪で裁判にかけ、1533年に処刑しました。
アタフアルパの死はインカ帝国の事実上の終焉を意味し、スペインによる南米征服を決定的にしました。この出来事は、文明間の技術格差や疫病が歴史の行方を大きく左右した典型例として、現在も歴史学・政治学で論じられています。
使い方・例文
世界史でスペインによるアメリカ大陸征服(コンキスタ)を扱う場面で、アタフアルパとピサロの対決はインカ帝国滅亡を象徴するエピソードとして取り上げられます。
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