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足利義詮とは?

あしかがよしあきら

足利義詮とは、室町幕府の第2代将軍で、父・尊氏の急死後に幕府の基盤を引き継ぎ、南北朝の動乱期に幕府権力の安定を図った人物です。

足利義詮(あしかがよしあきら、1330年〜1367年)は、室町幕府の第2代将軍です。足利尊氏の次男として生まれ、兄・竹若の早世により嫡子の地位を継ぎました。1335年には鎌倉府の長官(鎌倉将軍府)として関東に置かれましたが、後に京都に呼び戻され、幕府中枢で父を補佐するようになりました。

1358年に父・尊氏が死去すると、義詮は将軍職を継承しました。この時代の室町幕府は以下の課題を抱えていました。

  • 南朝勢力による度重なる京都攻撃(三度の京都奪還など)への対処
  • 有力守護大名(山名氏・細川氏など)との権力バランスの調整
  • 東国における鎌倉府の自立傾向の管理

義詮の治世は南北朝の動乱が激化した時期と重なり、政局は不安定でした。特に1361年には南朝方の楠木正儀らに京都を一時占領されるなど、苦しい局面も経験しています。政治面では管領(かんれい)制度の整備を進め、幕府行政の組織化に取り組みました。

1367年、義詮は38歳で死去しました。後継者には幼い義満(のちの第3代将軍)を指名し、管領・細川頼之を後見に付けました。義詮の代は幕府の過渡期として位置づけられ、義満による権力確立の土台を準備した時代として評価されています。

使い方・例文

室町幕府の歴史を学ぶ際、初代・尊氏と3代・義満の間に挟まれた「つなぎの将軍」として紹介されることが多い人物です。

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