被投性とは?
ひとうせい
被投性とは、人間が自分では選択できない状況(時代・場所・身体など)のなかに否応なく投げ込まれて存在しているという、実存哲学の概念です。
被投性(ひとうせい、Geworfenheit)は、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーが主著『存在と時間』(1927年)で提唱した実存論的概念です。人間(現存在)は、自らの意志で選ぶことなく、特定の時代・文化・言語・身体・家族環境のただなかに「投げ込まれた」ものとして存在しているという事実を指します。
ハイデガーによれば、人間はいつ・どこに・どのような境遇で生まれるかを自分では決めることができません。すでに与えられた状況のなかで存在しており、この「すでに-ある」という事実性が被投性です。被投性は単なる制約ではなく、人間の存在様式の根本的な構造として捉えられます。
被投性と関連する概念として以下が挙げられます。
- 企投(きとう):被投性を踏まえたうえで、可能性に向けて自己を投げかける(未来に向けて選択する)こと
- 現存在:ハイデガーが人間を指すために使う言葉。常に「今ここに投げ込まれている」存在
- 状況性:被投性と企投が交差する「今の自分の置かれた場」
被投性の概念は、人間が自由でありながらも完全な自由ではなく、すでに与えられた条件のなかで自己を形成していくという実存の緊張関係を示します。サルトルの実存主義や社会学・教育学などにも影響を与え、人間の自由・責任・アイデンティティを考えるうえで重要な視点を提供しています。
使い方・例文
「なぜ自分はこの時代に、この国に、この家庭に生まれたのか」という問いを立てるとき、哲学的には被投性という概念が関わってきます。
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