若槻禮次郎とは?
わかつきれいじろう
若槻禮次郎は、大正から昭和初期に活躍した日本の政治家・官僚で、憲政会・立憲民政党の党首として第25代・第28代内閣総理大臣を務めました。
若槻禮次郎(わかつき れいじろう)は、1866年(慶応2年)島根県松江藩生まれの政治家・官僚です。帝国大学法科大学を卒業後、大蔵省に入省し主税局長・大蔵次官などを歴任しました。
政界入り後は憲政会に所属し、加藤高明内閣で内務大臣を務めました。1926年(大正15年)、加藤首相の急死を受けて憲政会総裁となり、第25代内閣総理大臣に就任しました(第1次若槻内閣)。しかし1927年(昭和2年)、銀行取り付け騒ぎに端を発した金融恐慌への対応をめぐり枢密院が勅令案を否決したため、内閣総辞職を余儀なくされました。
1931年(昭和6年)には立憲民政党総裁として第2次若槻内閣を組閣しました。この時期は世界恐慌の深刻化と満州事変の勃発(1931年9月)という二重の危機に直面し、協調外交路線を維持しようとしましたが、陸軍の独走を抑えられず同年12月に内閣が総辞職しました。
若槻は政党政治の護持と議会主義を堅持した政治家として評価される一方、軍部や右派勢力の台頭に有効に対処できなかったとの批判もあります。戦後は1949年(昭和24年)に逝去しました。
使い方・例文
「若槻内閣は金融恐慌への対応に追われ、短命政権に終わった」のように、大正デモクラシーや昭和初期の政党政治を学ぶ文脈で登場します。
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