松岡洋右とは?
まつおかようすけ
松岡洋右とは、戦前日本の外交官・政治家で、国際連盟からの脱退を宣言し、日独伊三国同盟の締結に関与した外務大臣です。
松岡洋右(まつおか ようすけ、1880〜1946年)は、山口県出身の外交官・政治家です。少年時代にアメリカへ渡り、オレゴン大学を卒業後に外務省に入省しました。弁舌の才に長け、外交の舞台での強硬な主張で知られています。
最大の歴史的事件は1933年の国際連盟脱退宣言です。満州事変への対応をめぐって日本が国際社会から批判を受ける中、松岡は全権代表として連盟総会に出席し、李頓調査団報告書の採択に反対し退場・脱退を宣言しました。
その後の主な活動は以下のとおりです。
- 南満州鉄道総裁として満州での経営を主導
- 1940年に第二次近衛内閣の外務大臣に就任
- 日独伊三国軍事同盟(1940年)の締結を推進
- ソ連との日ソ中立条約(1941年)を締結
しかし対米強硬路線はアメリカとの関係をさらに悪化させ、近衛首相との対立から1941年に閣外に去りました。戦後にA級戦犯として極東国際軍事裁判(東京裁判)で訴追されましたが、公判途中に病死しました。
使い方・例文
日本の昭和外交史や太平洋戦争の原因を論じる文脈で松岡洋右が取り上げられます。国際連盟脱退の場面は外交史の教科書にも記述される重要な出来事です。
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