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有田八郎とは?

ありたはちろう

有田八郎は、戦前日本の外務大臣複数回歴任し、日中関係や対欧外交を担った昭和期の外交官・政治家です。

有田八郎(ありた はちろう、1884〜1965年)は、日本外交官政治家で、昭和前期に外務大臣を計4回(1936〜37年、1938〜39年、1940年)務めた人物です。

東京帝国大学法科を卒業後、外務省に入省し、中国・欧州各国での勤務を経て頭角を現しました。1936年の第1次外相就任時には、日中関係の安定化を模索しながらも軍部との調整に苦心しました。

1939年の第2次外相時代には、欧州情勢が緊迫するなかでイギリスと「有田・クレーギー協定」を結び、中国における日本軍の特殊事情をイギリスが認める内容で合意しましたが、国内外で批判を受けました。また、同年にはアメリカが日米通商航海条約の破棄を通告するという外交的打撃も経験しました。

1940年の第4次外相就任では日独伊三国同盟交渉の局面を担いましたが、日米関係悪化を懸念して同盟締結には慎重な姿勢をとりました。戦後はA級戦犯容疑者として拘束されましたが不起訴となり、その後は政界復帰を試みた時期もありました。

使い方・例文

日本の近代外交史・日中・日英・日米関係の変遷を学ぶ文脈で登場する人物です。

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