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山田顕義とは?

やまだあきよし

山田顕義は、明治時代政治家・軍人であり、日本の近代法律制度の基礎を築いた「法律の神様」と称される人物です。

山田顕義(やまだ あきよし、1844〜1892年)は、長州藩(現在山口県)出身の明治時代政治家・軍人です。幕末には奇兵隊に加わり、倒幕運動に参加しました。明治維新後は陸軍軍人として西南戦争などに従軍し、陸軍中将に昇進しました。

軍人としてのキャリアに加え、政治家・法律家としても傑出した業績を残しました。内務卿・司法大臣などを歴任し、特に司法大臣として日本の近代法典の整備に中心的な役割を果たしました。フランス法の影響を受けつつ、刑法・民法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法などの近代的な法典の編纂を主導し、「法律の神様」と称されるようになりました。

また、法曹人材の育成にも力を注ぎ、1889年(明治22年)に日本大学の前身となる「日本法律学校」を設立しました。これは日本の法学教育の礎を築く重要な出来事とされています。

維新の立役者として政治・軍事・法律の三分野で活躍したという点で、明治期の多才な人物の一人として評価されています。48歳という比較的若い年齢で亡くなりましたが、その功績は日本の法制史に深く刻まれています。

使い方・例文

日本の近代法典や日本大学の創設者として歴史の教科書や法学の文脈で紹介される人物で、明治の法律整備を語る際に必ず名前が挙がる。

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