副島種臣とは?
そえじまたねおみ
副島種臣とは、明治時代の日本の政治家・外交官で、条約改正交渉や征韓論で知られる佐賀出身の明治六年の政変の立役者の一人です。
副島種臣(そえじまたねおみ)は、1828年に肥前国佐賀(現在の佐賀県)に生まれた明治時代の政治家・外交官です。幕末期には佐賀藩士として尊王攘夷運動に関わり、維新後は明治政府の中枢で活躍しました。
明治政府では司法卿や外務卿を歴任し、外交面での重要な役割を担いました。外務卿時代の1873年には清国を訪問し、台湾問題(漂着した琉球民殺害事件)について清国側と交渉を行い、その巧みな外交交渉で名を高めました。また、岩倉使節団の準備期間に内政を守った留守政府の要人の一人でもあります。
1873年、西郷隆盛らとともに征韓論を主張し、朝鮮への使節派遣を主張しましたが、岩倉具視・大久保利通らに反対されて敗れ、西郷・板垣退助らとともに政府を去りました(明治六年の政変)。
その後は自由民権運動に一時期接近するなど、野党側の有力者としても活動しました。晩年は枢密顧問官などを務め、1905年に死去しました。書家としても知られ、その書は「臨池妙品」と称されています。
使い方・例文
明治初期の外交史や「明治六年の政変」を解説する文脈で、「副島種臣は外務卿として清国との外交交渉を担い、征韓論では西郷隆盛とともに政府を去った」という形で登場します。
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