三塚博とは?
みつづかひろし
三塚博とは、自由民主党の衆議院議員として防衛庁長官・外務大臣・大蔵大臣などを歴任した昭和・平成の政治家です。
三塚博(みつづか ひろし)は、1927年(昭和2年)に宮城県で生まれた日本の政治家です。東北大学法学部を卒業後、1963年(昭和38年)の衆議院議員選挙で初当選し、以降長きにわたって宮城県第1区(中選挙区)を地盤に活動しました。自由民主党に属し、安倍派(清和会)の有力メンバーとして知られました。
政治家としての三塚博は、内閣の要職を複数歴任しました。防衛庁長官・科学技術庁長官・外務大臣を務めたほか、1996年(平成8年)には大蔵大臣(現在の財務大臣に相当)に就任しました。大蔵大臣在任中の1997年から1998年にかけては、バブル崩壊後の日本経済が深刻化する中で山一證券・北海道拓殖銀行など大手金融機関の経営破綻が相次ぎ、金融危機対応に追われました。この時期の経済政策・金融行政は後に議論の対象となっています。
三塚博の政治キャリアの主要な要点は以下の通りです。
- 衆議院議員として通算10回以上当選した長期政治家
- 安倍晋太郎の後継として安倍派(清和会)の会長を務めた
- 大蔵大臣として日本の金融システム危機に対応した
- 1998年の参議院選挙敗北を受けて大蔵大臣を辞任した
2004年(平成16年)に死去。日本の政治・行政史における昭和後期から平成初期の要職者のひとりとして記憶されています。
使い方・例文
金融危機が深刻化した1997〜1998年頃の日本経済を語る文脈で、当時の大蔵大臣として三塚博の名前が取り上げられることがあります。
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