マリア・テレジアとは?
まりあてれじあ
マリア・テレジアとは、18世紀にハプスブルク家の広大な領土を統治したオーストリア大公・ハンガリー女王であり、「ヨーロッパの国母」と称された名君です。
マリア・テレジア(1717年〜1780年)は、神聖ローマ皇帝カール6世の長女として生まれ、1740年に父が後継者なく死去したことでハプスブルク家の家督を継承しました。即位直後からプロイセン・フランス・バイエルン連合軍による「オーストリア継承戦争」(1740〜48年)に直面し、女性の国家統治に懐疑的な諸侯の反発を受けながらも、ハンガリー貴族の支持を取りつけて領土の大半を守り抜きました。
マリア・テレジアは政治家・改革者として傑出しており、在位中に以下のような近代化改革を推進しました。
- 中央集権的な官僚制度の整備と行政効率化
- 義務教育制度の導入(農民の子弟にも学校教育を)
- 拷問の廃止と司法制度の近代化
- 軍制改革による常備軍の強化
- 重商主義的な経済政策による財政強化
夫のフランツ1世が神聖ローマ皇帝位を持ち、形式上は皇后でありましたが、実質的な統治者はマリア・テレジアでした。夫の死後は長男ヨーゼフ2世と共同統治を行いながらも、啓蒙的改革のペースをめぐって衝突することもありました。
16人の子を産んだ母としても知られ、次女マリー・アントワネットをフランス王室に嫁がせるなど、婚姻外交にも積極的でした。「ヨーロッパの義母」と呼ばれるほど子や孫が各国の王室を結びつけました。
使い方・例文
ヨーロッパ近代史の授業で啓蒙専制君主を学ぶ際に登場するほか、マリー・アントワネットの母として、あるいは女性君主の先駆者として紹介されることも多い人物です。
この用語をシェア
最終更新: