コルニーリョ・デ・ヴィットとは?
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コルニーリョ・デ・ヴィットは17世紀オランダの政治家・外交官で、共和派の指導者として活躍したヨハン・デ・ヴィットの弟です。
コルニーリョ・デ・ヴィット(Cornelis de Witt、1623〜1672年)は、17世紀のオランダ共和国における政治家・海軍提督で、兄のヨハン・デ・ヴィットとともにオランダ共和派(ローフェステイン派)の中核を担った人物です。
ドルトレヒト出身の名門家系に生まれ、地方行政官として頭角を現したコルニーリョは、英蘭戦争やフランスとの戦いにおいて艦隊を指揮し、実戦的な指導者としても高い評価を得ました。1666年の四日間海戦ではミヒール・デ・ロイテル提督のもとで大きな役割を果たし、その功績は広く称えられました。
しかし、1672年の「災厄の年」にオランダがフランス・イングランド・ミュンスター・ケルンの連合軍に侵攻されると、政治的状況は一変します。オラニエ派がウィレム3世を総督として担ぎ上げる動きが強まる中、コルニーリョはウィレム3世の暗殺を企てたとして不当に告発されました。
無罪の主張も虚しく、1672年8月20日にハーグの監獄に収監されていたコルニーリョは、面会に訪れた兄ヨハンとともにオラニエ支持の民衆暴動によって殺害されました。この事件はオランダ史上最も悲惨な政治的リンチの一つとして歴史に刻まれており、共和政からオラニエ家による統治への転換点を象徴する出来事となっています。
使い方・例文
「1672年の民衆暴動でコルニーリョ・デ・ヴィットと兄ヨハンがハーグで殺害された事件は、オランダ共和政の終焉を告げる象徴的な出来事として語り継がれている。」
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