エドゥアール・ダラディエとは?
えどぅあーるだらでぃえ
エドゥアール・ダラディエとは、第二次世界大戦直前のフランスで首相を務め、ミュンヘン協定に署名したことで知られる政治家です。
エドゥアール・ダラディエ(Édouard Daladier、1884〜1970年)は、フランスの急進社会党(急進党)を代表する政治家で、首相を複数回にわたって務めました。
歴史上で最も知られる場面は、1938年のミュンヘン会談です。ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー、イギリスのネヴィル・チェンバレン、イタリアのムッソリーニと共に「ミュンヘン協定」を締結し、チェコスロバキアのズデーテン地方をドイツに割譲することを容認しました。これはヒトラーへの宥和政策の象徴として歴史に刻まれており、ダラディエ自身もその危うさを認識していたとされています。
1939年9月にはドイツのポーランド侵攻を受けてドイツへの宣戦を布告し、フランスを第二次世界大戦へと導きました。しかし1940年にドイツ軍の電撃戦に敗れ、首相を辞任しました。その後ヴィシー政権下で逮捕・投獄され、ドイツに移送されましたが、戦後は解放され政界に復帰しています。
ダラディエの政治的軌跡は、戦間期ヨーロッパの緊張と宥和政策の失敗を語る上で欠かせない事例です。
使い方・例文
「ミュンヘン協定」の文脈や戦間期ヨーロッパの宥和政策を解説する際に、ダラディエの名前は必ず挙がります。
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