本文へスキップ

永田鉄山とは?

ながたてつざん

永田鉄山は、昭和初期の陸軍中将であり、統制派の中心人物として軍の近代化と国家総動員体制の構築を主導しましたが、陸軍内部の派閥対立に倒れた人物です。

永田鉄山(ながた てつざん、1884〜1935年)は、日本陸軍の軍人(最終階級:中将)であり、昭和初期の陸軍内派閥対立において中心的な役割を果たした人物です。長野県出身で、陸軍士官学校・陸軍大学校を優秀な成績で卒業しました。

永田は「日本陸軍の頭脳」とも称されるほどの戦略的思考を持ち、近代戦に対応した総力戦体制の構築と軍の合理的な整備を主張しました。陸軍省軍務局長として陸軍の中枢に位置し、国家と軍を一体化させる「国家総動員」の概念を推進する立場にありました。

陸軍内部では、皇道派と統制派の激しい対立があり、永田は統制派の実質的なリーダーとして皇道派と正面から衝突しました。皇道派は天皇親政の急速な実現を掲げ、精神主義的な傾向が強かったのに対し、統制派は組織的・合理的な軍の運営と国家改造を目指しました。

1935年8月、皇道派の相沢三郎中佐が陸軍省の執務室に乗り込み、永田を斬殺するという前代未聞の事件(相沢事件)が起きました。この事件は翌年の二・二六事件へとつながる陸軍内部の深刻な亀裂を示すものとして、昭和軍事史の重要な出来事として記録されています。

使い方・例文

「永田鉄山の暗殺(相沢事件)は、二・二六事件につながる陸軍内部の派閥抗争を象徴する出来事として昭和史の講義でよく取り上げられます。」

この用語をシェア

𝕏 でポスト LINE

最終更新:

関連用語