本多忠勝とは?
ほんだただかつ
本多忠勝とは、戦国時代から江戸時代初期にかけて徳川家康に仕えた武将で、「徳川四天王」の一人に数えられる猛将です。
本多忠勝(ほんだただかつ、1548〜1610年)は、三河国(現在の愛知県)出身の戦国武将で、徳川家康の重臣として生涯にわたって仕えた人物です。幼少期から家康に近侍し、桶狭間の戦い後の混乱期から一貫して徳川家を支え続けました。
忠勝が特に名高いのは、その圧倒的な武勇と戦場での活躍です。生涯で参加した合戦は57回とも言われ、一度も傷を負わなかったという逸話が伝わっています。この無傷の記録は後世に大きく語り継がれ、「剛の者」の象徴として知られています。愛用の武器は蜻蛉切(とんぼきり)と呼ばれる槍で、日本三名槍の一つに数えられています。
主な活躍の場としては以下が挙げられます。
- 姉川の戦い(1570年)での先陣突撃
- 長篠の戦い(1575年)での奮戦
- 小牧・長久手の戦い(1584年)での功績
- 関ヶ原の戦い(1600年)での東軍参加
関ヶ原の戦い後は上総大多喜藩、のちに伊勢桑名藩の藩主となり、晩年は行政官としても活躍しました。豊臣秀吉からも「東国無双の侍大将」と称されたと伝わり、徳川四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政)の一人として高い評価を受けています。
使い方・例文
「徳川四天王の一人、本多忠勝は生涯57回の合戦で無傷だったとされる猛将です」のように、武勇の象徴として語られる場面で登場します。
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