プラジャーディポック王とは?
ぷらじゃーでぃぽっくおう
プラジャーディポック王とは、タイのチャクリー王朝第7代国王で、立憲革命により絶対王政を終わらせ、タイ初の憲法を制定した君主です。
プラジャーディポック王(ラーマ7世、1893〜1941年)は、タイ(当時はシャム)のチャクリー王朝第7代の国王として1925年から1935年まで在位しました。在位中にタイ近代史上最大の転換点となる1932年の立憲革命が起こり、絶対君主制から立憲君主制への移行を余儀なくされた国王として知られています。
王はチュラーロンコーン王(ラーマ5世)の子として生まれ、イギリスで軍事教育を受けました。即位前から財政難が続いており、王自身も行政改革や歳出削減に取り組みましたが、世界恐慌の影響もあって経済状況は悪化しました。1932年6月、カーナ・ラーサドン(人民党)によるクーデターが発生し、タイ初の憲法が制定されます。
立憲革命後も王は象徴的君主として留まりましたが、軍部・政府との対立が続き、1934年に渡航した欧州から帰国せず、1935年にイギリスで退位を表明しました。その後、1941年に英国で死去しました。プラジャーディポック王の治世は、タイが近代国家へと脱皮する激動の時代を象徴しており、タイの憲政史を語る上で欠かせない存在です。
使い方・例文
タイの近現代史や立憲革命を扱う文脈で、「民主化の転換点を生きた国王」として言及されます。タイでは今日も慰霊と感謝の対象とされています。
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