テオ・ファン・ドゥースブルフとは?
ておふぁんどぅーすぶるふ
テオ・ファン・ドゥースブルフはオランダの前衛芸術家・建築家で、デ・ステイル運動の創始者として20世紀初頭のモダニズム美術・建築に多大な影響を与えました。
テオ・ファン・ドゥースブルフ(Theo van Doesburg、1883〜1931年)は、オランダ・ユトレヒト生まれの画家・建築家・批評家です。本名はクリスチャン・エミール・マリー・キュッパーといいますが、筆名として「テオ・ファン・ドゥースブルフ」を用いました。
1917年、ピエト・モンドリアンらとともに芸術運動「デ・ステイル(De Stijl=様式の意)」を創設し、機関誌「デ・ステイル」を主宰しました。この運動は、縦横の直線・三原色(赤・青・黄)・白黒・無彩色のみを用いたシンプルな造形言語を追求し、絵画から建築・デザイン・タイポグラフィに至るまでの幅広い分野に影響を及ぼしました。
モンドリアンが厳格に水平・垂直の関係にこだわったのに対し、ファン・ドゥースブルフは1924年ごろに斜め線を導入した「コンクレティスム(具体芸術)」を提唱し、モンドリアンとの決裂を招きました。バウハウスにも影響を与えるべく訪問・講義を行い、モダニズム教育の普及にも寄与しています。1931年、スイスのダーフォスにて47歳の若さで亡くなりました。
使い方・例文
美術史の授業やモダニズムデザインの入門書において、デ・ステイル運動の説明とともにテオ・ファン・ドゥースブルフの名前が登場します。モンドリアンとの比較で語られることも多い人物です。
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