タフマースブ1世とは?
たふまーすぶいっせい
タフマースブ1世とは、16世紀のサファヴィー朝ペルシアを統治した国王で、長期にわたる治世の中でオスマン帝国の侵攻に対抗し、シーア派国家の基盤を強化した人物です。
タフマースブ1世(ペルシア語: طهماسب یکم、1514年〜1576年)は、イランのサファヴィー朝第2代シャー(国王)です。父・イスマーイール1世の死後、10歳という幼齢で即位し、その後約52年にわたって在位した長期政権を築きました。
タフマースブの治世における最大の課題は、強大なオスマン帝国との戦争でした。オスマン帝国のスレイマン1世(大帝)はたびたびサファヴィー朝領内に侵攻し、タフマースブはこれを迎え撃たなければなりませんでした。彼がとった戦略的対応には以下のものがあります。
- 首都をタブリーズからカズヴィーンに移転し、オスマン軍の到達を困難にした
- 焦土作戦によってオスマン軍の補給を断つ持久戦を展開した
- 最終的に1555年のアマスィヤ条約で一時的な平和を実現した
国内政策では、十二イマーム派シーア派を国家宗教として一層定着させ、宗教学者の地位を高める政策を推進しました。また、ムガル帝国を追われた皇子フマーユーンを庇護して復位を支援するなど、国際的な外交も展開しました。
晩年には宮廷内の派閥争いが激化し、政治的混乱も見られましたが、タフマースブ1世の長い治世はサファヴィー朝がイランにシーア派国家としての基盤を確立する上で重要な時代として位置づけられています。
使い方・例文
サファヴィー朝の歴史やオスマン・ペルシア戦争を解説する際に、長期政権を維持した国王として言及される人物です。
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