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アレクサンドル・ペシオンとは?

あれくさんどるぺしおん

アレクサンドル・ペシオンとは、ハイチ革命に参加し、独立後のハイチ南部を統治した政治家・軍人で、南米の解放者シモン・ボリーバルを支援したことでも知られる人物です。

アレクサンドル・ペシオン(Alexandre Pétion、1770〜1818年)は、ハイチの軍人・政治家で、ハイチ革命における重要な指導者の一人です。フランス植民地サン=ドマングで、フランス人の父とアフリカ系の母のもとに生まれた混血(ムラート)の出身でした。

フランスで軍事訓練を受けた後、ハイチ革命に参加し、フランスからの独立運動に貢献しました。1804年のハイチ独立後、国内は北部と南部に分裂し、ペシオンは南部を拠点に独自の政権を樹立します。1807年に南部共和国の大統領に選出され、終身大統領として統治しました。

ペシオンの統治で特筆されるのは、土地改革シモン・ボリーバル支援の二点です。大農園制を解体して元奴隷や農民に土地を分配する政策を進め、ハイチ南部に独特の小農社会を形成しました。また、スペインからの独立を目指すボリーバルが亡命してきた際、武器・弾薬・資金・兵士を提供して南米独立運動を後押ししました。ボリーバルはこの恩義に感謝し、解放した地域での奴隷制廃止を約束したとされています。

ペシオンは「ハイチの父」の一人として敬われ、民衆への土地分配という先進的な政策により、ラテンアメリカ史においても重要な位置を占めています。

使い方・例文

ハイチ革命史やシモン・ボリーバルの南米独立運動を解説する際に登場し、両者の連携を示す史実として紹介されます。

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