アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)とは?
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アレクサンドラ・フョードロヴナとは、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世の皇后で、ロシア革命で一家とともに処刑された悲劇の女性です。
アレクサンドラ・フョードロヴナ(1872〜1918年)は、ドイツ・ヘッセン大公国の王女アリックスとして生まれ、ロシア皇帝ニコライ2世と結婚してロシア皇后となった人物です。ヴィクトリア女王の孫娘にあたり、ヨーロッパ王室と深く結びついた存在でした。
アレクサンドラは信仰心が篤く、政治にも大きな影響力を持ちました。とりわけ、血友病を患う皇太子アレクセイの病状に苦しむ中で、怪僧グリゴリー・ラスプーチンへの傾倒が深まり、彼を通じて国政に介入するようになります。これが宮廷内外の不満を高め、ロシア帝国の政治的不安定化を招いた一因ともなりました。
1917年のロシア革命でニコライ2世が退位した後、アレクサンドラは家族とともに幽閉されます。1918年7月、エカテリンブルクのイパチェフ館にて、ニコライ2世・子供たち・使用人らとともにボリシェヴィキ(赤軍)により銃殺されました。
ロシア正教会は2000年に、一家を「受難者」として列聖しています。アレクサンドラの生涯は、ロシア帝国の滅亡と近代史の激動を象徴する出来事として現在も広く語り継がれています。
使い方・例文
「アレクサンドラ・フョードロヴナはラスプーチンへの依存が批判を招き、ロマノフ王朝崩壊の一因となったと指摘されています」のように、ロシア近代史の文脈で言及されます。
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