山中貞雄とは?
やまなかさだお
山中貞雄とは、昭和初期に活躍した日本の映画監督で、天才的な才能を持ちながら26歳で戦死した悲運の名匠として知られています。
山中貞雄(1909〜1938年)は、日本の映画監督で、わずか26歳という若さで戦場に散った「幻の天才監督」として語り継がれる存在です。京都生まれで、時代劇映画の製作会社で助監督を経て監督デビューし、20代前半から才覚を発揮しました。
現存する作品は『丹下左膳余話 百万両の壺』(1935年)、『河内山宗俊』(1936年)、『人情紙風船』(1937年)の3本のみです。とりわけ『人情紙風船』は、江戸時代の貧しい長屋に暮らす人々の哀愁を鮮やかに描いた傑作として、日本映画史上屈指の名作に数えられています。時代劇の様式を保ちながらも、当時の社会矛盾や庶民の悲哀を鋭く映し出す演出は、同世代の監督とは一線を画するものでした。
1937年の日中戦争勃発により応召され中国戦線に送られ、翌1938年に腸チフスのため中国河南省にて病死しました。生前に撮った作品のほとんどは失われており、残された3本の映画が「もしも長生きしていたら」という惜しみない想像を後世の人々に抱かせ続けています。黒澤明ら後進の映画人に多大な影響を与えた存在です。
使い方・例文
「夭折した天才監督」として日本映画史の授業や書籍で必ず登場します。『人情紙風船』を鑑賞する際の背景知識としても重要です。
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