大谷吉継とは?
おおたによしつぐ
大谷吉継とは、豊臣秀吉に仕えた戦国武将で、ハンセン病を患いながらも優れた知略と義侠心で知られ、関ヶ原の戦いで石田三成に殉じた悲劇の人物です。
大谷吉継(おおたによしつぐ)は、1565年頃に生まれたとされる武将で、豊臣秀吉の馬廻衆(親衛隊)から頭角を現しました。秀吉の信任が厚く、奉行としての行政手腕も評価されていたことから、石田三成・増田長盛らとともに豊臣政権の中枢を担いました。
晩年にはハンセン病(かつての文献では「癩病」と記述)を患い、外見が大きく変わったとされますが、その知略と人柄は変わらず高く評価されていました。友人・石田三成との関係は深く、関ヶ原の戦い直前に三成が家康打倒の計画を打ち明けた際、吉継は勝ち目が薄いと判断しながらも友情に殉じて西軍に加わりました。
1600年の関ヶ原の戦いでは、吉継隊は西軍の中でも屈指の戦闘力を発揮し、敵将・藤堂高虎や京極高知の部隊を撃退しました。しかし、小早川秀秋の西軍への裏切りにより戦局が急変。吉継は劣勢の中で戦い続け、最終的に自刃して果てました。その生涯はしばしば「義のために死んだ武将」として称えられます。
後世の創作でも、病を抱えながら義侠を貫く姿が多く描かれており、関ヶ原を題材にした小説や映画で欠かせない人物として登場します。
使い方・例文
「大谷吉継のような義侠心」という表現で、勝ち目がなくても友のために尽くす姿勢を称える際に用いられます。関ヶ原の戦いを扱う歴史書やゲーム作品で重要なキャラクターとして登場します。
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