阿頼耶識とは?
あらやしき
阿頼耶識とは、唯識仏教思想において、あらゆる経験や業(カルマ)の種子を蓄える根本的な意識層のことです。
阿頼耶識(あらやしき)は、インド大乗仏教の唯識(ゆいしき)思想が説く八識のうち最も根本にある識(こころ)です。サンスクリット語の「ālaya-vijñāna(アーラヤ・ヴィジュニャーナ)」に由来し、「蔵識(ぞうしき)」とも呼ばれます。
唯識思想では、眼・耳・鼻・舌・身の五感に対応する五識、思考をつかさどる第六識(意識)、自己意識にあたる第七識(末那識)、そして最深部に位置する第八識が阿頼耶識です。阿頼耶識はあらゆる行為・経験の印象である「種子(しゅうじ)」を貯蔵し、それが縁によって現れてくることで新たな認識や行為が生じると説かれます。
重要な特徴は次の通りです。
- 過去・現在の行為(業)の種子を蓄え、次の経験や来世の生存を規定する
- 個人の連続性を保証するはたらきを担う
- 識そのものが「万法の根本」であり、外界の存在もここから生み出されると考える
- 煩悩の種子も蓄えるため、解脱の実践によって浄化される対象となる
現代の観点では、無意識層や記憶の集積にたとえられることもあり、ユングの「集合的無意識」との比較で論じられることもあります。唯識の代表的論師には世親(ヴァスバンドゥ)がおり、日本では法相宗(奈良・興福寺や薬師寺)がこの思想を伝えました。
使い方・例文
禅や瑜伽行の修行を学ぶ場面で「阿頼耶識に刻まれた業の種子を転換する」という言い方が登場します。また仏教哲学の講義や書籍で「心の最深層にある蔵識」として紹介されることが多いです。
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