毛利元就とは?
もうりもとなり
毛利元就とは、戦国時代に安芸国(現在の広島県)から中国地方全域を制覇した武将で、謀略と外交を駆使した智将として名高い人物です。
毛利元就(もうりもとなり、1497〜1571年)は、安芸国(現在の広島県)吉田荘を本拠とする小豪族から出発し、中国地方10カ国以上を統一した戦国大名です。武力だけでなく、周到な謀略と外交術で敵を内側から崩す「謀将」として知られます。
元就の生涯を彩る主な転機として、以下が挙げられます。
- 大内氏や尼子氏という大勢力の間で絶妙な外交を駆使し、毛利家の地盤を固めた。
- 1555年の厳島の戦いで、陶晴賢率いる大軍を奇策・奇襲によって撃破し、中国地方の覇権を確立した。
- その後、尼子氏を攻略し中国地方をほぼ制圧した。
元就は「三本の矢」の教えでも有名です。これは3人の息子(隆元・元春・隆景)に対し、1本では折れる矢も3本束ねれば折れない、すなわち兄弟が結束することの大切さを説いたとされる逸話です。史実としての裏付けには諸説ありますが、後世に広く伝わる教訓話となっています。
元就は75歳まで生き、当時としては長寿を全うしました。彼が築いた毛利氏の基盤は孫の輝元の時代まで続き、関ヶ原の戦い後も長州藩として明治維新まで存続します。
使い方・例文
「毛利元就の厳島の戦いは、少数の兵力で大軍を撃破した知略の典型例として、ビジネス戦略の話でも引用されることがある」という形で使われます。
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