斎藤茂吉とは?
さいとうもきち
斎藤茂吉は、明治から昭和にかけて活躍した歌人・精神科医で、写実と情熱を融合した独自の短歌を多数残し、近代短歌の巨人と呼ばれます。
斎藤茂吉(1882〜1953)は、山形県生まれの歌人・精神科医で、正岡子規の写生主義を受け継ぎながら、それを深化させた「写実」と「強烈な情念」の融合という独自のスタイルを確立しました。歌誌『アララギ』の中心的存在として活躍し、近代短歌史において最も重要な歌人の一人とされています。
代表的な歌集は第一歌集『赤光』(1913年)で、臨終の母をうたった連作「死にたまふ母」は、生と死を正面から見つめた圧倒的な表現力により、近代短歌の最高峰の一つと評価されています。その後も『あらたま』『つゆじも』など多くの歌集を発表し、生涯にわたって精力的に作歌を続けました。
職業的には青山脳病院(現・斎藤病院)の院長を務めた精神科医でもあり、医業と歌業を両立させた点でも注目されます。また、万葉集の研究家としても知られ、柿本人麻呂を論じた評論は学術的にも高く評価されています。
その作風は「歌よみに与ふる書」の子規の写生論を基盤にしながら、個人の激しい感情を詠み込む点で独自性が際立ちます。現代の短歌作家にも多大な影響を与え続けています。
使い方・例文
「斎藤茂吉の『赤光』に収められた『死にたまふ母』の連作は、母の死を詠んだ短歌群として現代でも広く読まれている」のように、近代短歌を語る場面で登場します。
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