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徳川光圀とは?

とくがわみつくに

徳川光圀とは、江戸時代前期の水戸藩第2代藩主であり、日本史上初の本格的な国史編纂事業『大日本史』を主導したことで知られる人物です。

徳川光圀(とくがわ みつくに、1628〜1700年)は、江戸時代前期の大名で、水戸徳川家の第2代藩主です。徳川家康の孫にあたり、徳川頼房の三男として生まれました。「水戸黄門」の名でも広く親しまれており、後世に作られた講談や時代劇の主人公としても有名です。

光圀の最大の功績は、日本初の体系的な国史編纂事業「大日本史」の開始です。1657年(明暦3年)に編纂を始めたこの事業は、神武天皇から後小松天皇にいたる歴代天皇の正史を漢文で記述するものであり、明の「史記」に倣った紀伝体を採用しました。光圀自身は完成を見ずに亡くなりましたが、この事業は水戸藩の彰考館で継続され、完成したのは明治時代のことです。

また、光圀は儒学・神道・文化の振興にも力を注ぎ、水戸に義公堂や偕楽園(後に整備)の礎となる庭園を設けるなど、文化的な藩づくりを推進しました。外国の食文化への興味も強く、日本でいち早くラーメンや牛乳・チーズを口にした人物として伝えられています。

「水戸黄門」として描かれる「諸国漫遊」は後世の創作ですが、その強い正義感と学問への情熱は実際の光圀の姿を反映したものといわれます。水戸学の祖として、後の尊王思想・明治維新にも大きな影響を与えた歴史上の重要人物です。

使い方・例文

「水戸黄門こと徳川光圀が『大日本史』の編纂を命じた」のように、江戸時代の文化・歴史の話題や、水戸藩・水戸学を語る際に登場します。

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