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天保の飢饉とは?

てんぽうのききん

天保の飢饉とは、江戸時代後期の天保年間(1830年代〜1840年代初頭)に東北・関東を中心に発生した大規模な飢饉です。

天保の飢饉(てんぽうのききん)は、江戸時代後期の天保年間、とりわけ天保4年(1833年)〜天保8年(1837年)頃を中心日本各地を襲った大規模な飢饉です。江戸時代の三大飢饉(享保・天明・天保)のひとつに数えられ、特に東北・北陸・関東地方に深刻な打撃を与えました。

飢饉の直接原因冷夏・長雨・洪水などの異常気象による連続的な凶作でした。これに加えて、当時の農村社会が抱えていた構造的な問題(農民の貧困化・年貢の重負担・商品経済の浸透による農業の不安定化)が被害を拡大させました。東北地方では特に被害が大きく、多数の餓死者・逃散・人身売買などの社会的混乱が生じたとされています。

天保の飢饉が社会に与えた影響は広範囲にわたりました。

  • 各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発した。
  • 天保8年(1837年)には大坂町奉行所の元与力・大塩平八郎が貧民救済を訴えて乱を起こした(大塩平八郎の乱)。
  • 幕府は天保の改革(水野忠邦による)などの対応策を迫られた。

この飢饉は幕藩体制の矛盾を一層顕在化させ、幕末の社会変動につながる重要な転換点のひとつとして歴史的に位置づけられています。

使い方・例文

日本史の近世後期を学ぶ文脈で、大塩平八郎の乱や天保の改革の背景として天保の飢饉が必ず取り上げられます。

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